2020年9月2日水曜日

ベトナム生活を振り返っていく

後任人事の情報も出てきたので、そろそろ自分の帰任も近い。特に日記も付けておらず、ブログもサボりまくっていたので、この機会に少しずつ振り返り、整理しておこうと思う。
(年々、昔の記憶が怪しくなってきている。思い出せないのは悲しいし、残しておけばまた思い出すきっかけが出来ると思う。)

2020年4月25日土曜日

報告、相談すべき問題を見極める

海外派遣において、職場にいる日本人(派遣員)の数は限りなく少ない。自分の工場の場合、日本人技術者は自分のみ。本社への報告義務があるとは言え、日々発生する問題について、全てを本社に報告していては仕事が終わらない、というかただの連絡係になってしまい、現場を任されている意味が無い。一方、シリアスな問題はすぐに報告する義務がある。報告を怠ると日々積み重ねている信頼が損なわれる。ので、バランスを考える必要がある(日本で働いていた時は基本的に全ての問題を朝ミーティングで課長に報告していた)。
自分の場合、問題が生じたときは発生原因、問題の大きさ、最悪のケース、是正処置が打てるかどうかを意識するようにしている。問題をコントロール出来るかどうかは、是正処置が打てるかどうかに依る。もし自分のコントロール出来る範囲を超えている場合、あるいは問題が大きい場合、すぐに本社、現法の上長(技術系では無い)に報告するようにしている。逆にコントロールできる問題、小さい問題については、定期報告で結果を伝えるのみとしている。この辺は感覚だと思うが、新人であればあるほど報告量が多くなるべきであろう。自分が本社側だとしてもそれを望むであろう。
技術的に難しい問題は本社からサポートを受けられるよう相談するようにしている。相談しやすいかどうかは日頃のコミュニケーションに依るところが大きい。その方が日本から出張してきた際は全力でアテンドし、自分の味方になってもらうよう努めるのが吉だと思う。

連勤と体調管理、早く帰る習慣

怒涛の連勤が終了。24時間365日稼働する化学工場では、数年に一度、1か月程工場を停止して24時間体制でメンテナンスを行う仕組みになっている。自分が働く工場でも2週間ほど稼働を停止してメンテナンスを行った。日本であれば自分の代理がいるため、交代で休むことが出来るが、海外だと技術系の日本人は自分一人であるため、しばらくの間、休みなしで働くことになった。
海外では、特に東南アジアでは免疫が下がるとすぐに腹を下したり、感染症に掛かり、熱が出る。徹夜なんてしようものなら一発でアウト。時節柄コロナも流行っているので、いかに体調を維持しつつ、働き続けることかが一つのポイントだった。
日本で働いていたとき、自分は担当者であり、(段取りと会社の仕組みが悪く)仕事量が膨大であったため、このように工場を止めてメンテナンスする際は毎晩午前様が当たり前だった。
ベトナムでこんな働き方をしていては、身体が絶対に持たない。
今はマネジメントであるため、担当者としての仕事は無い。数ある問題をなるべく早い時間で吸い上げ、すぐに明確に指示し、フォローするか、いかに無駄な仕事をせずすぐに帰るかに尽きた。自分の知識だけでは解決できない問題もあったため、なるべく早く工事業者、日本と議論するよう心掛けた。結果、平均で18時30分、遅くとも20時30分には退社することが出来た。1日だけだったが問題が無さそうな日は午後出社とした。体調不良も無し。普段でも20時退社であるため、自分としては上出来だった。
これを機会にさっさと早く帰る癖、仕事のやり方を習得したいと思う。

2020年4月4日土曜日

絶望の林業

日本に一人しかいない林業ジャーナリストの田中淳夫さんが出演されているYoutubeを観た。小一時間かけて先生が林業に興味を持ったきっかけ、林業ジャーナリストになった理由、いかに日本の林業がダメか、将来どうすればよいか、紹介していた。

祖父が自営で林業をやっていたこともあり、自分にとっては多少身近であったが、こんなにも大変でイケてない産業だとは。少し例を挙げると、

・危険
 全産業の12倍の事故率
 教習所でヘルメットを被るよう習っても、林業組合や会社では誰も被らないので新人も被ることが出来ない
 祖父も木が倒れてきて肋骨を折ったこともあった

・儲からない
 総じて給料が安く、家族を養うことが出来ない。寿退社が多い(男性です)

・休みが無い
 休みは雨の日だけ。日銭をもらうので、休んだら収入は無し。
 祖父もそうであった。

(こうしてみると建設現場で働く溶接士や重機作業者も似たような状況かも知れない。)

もはや産業として成り立っていない。。。
どのような産業にすべきかビジョンが無いのではなかろうか。
短期的な利益を優先して山や斜面を丸々伐採し、切った分だけ(経費の7割の)補助金を得ている。本来は長期的な目線に立って山の生涯を考えながら伐採しないといけない。
木のオーナー、伐採者、加工業者がバラバラで、この木が誰にどのように使われているかもわからない。マーケティングが出来ていない。

人工林とはいえ、日本には木が多く、自然豊かと誇らしげに思っていたが、裏にはいろいろな問題があり、しかも手が打たれていない。東南アジア、アフリカでは伐採が続き、グレーな木材が日本に流れているという惨状。

ではどうすればよいか。
やはり長期的なビジョンを持ち、どのような産業にしていきたいかトップが示すこと。
そして木材に付加価値を付け、産業として儲かるようにしていくこと。例えばスイスの木製の時計のように。産業育成のために輸入を減らすことも考えないといけないかもしれない。国民はひたすら安いの物を買うのではなく、高くても国産の物を買うとか。そうして自分達で自国の産業を育てていこうとみんなで共通意識を持つ教育をするとか。

多くの分野の第一線で活躍されている方の話を聞いて、色々なことに興味を持つ、世の中を知ることは大人の教養として大事だろう。
しばらく追っていこうと思う。

2020年4月2日木曜日

ショーシャンクの空に。

今年のプライベートの目標の一つに、教養のため、名作映画を20本観ることとしている。
1作目は「ショーシャンクの空に。」。学生の頃に観たが記憶があいまいになっており、もう一度見ることとした。
若い銀行副頭取が不倫をした妻殺しの冤罪で無期懲役となった。不条理と暴力が横行する何の未来も無い刑務所の中で、それでも希望を忘れなかった。5年もの間、政府に陳情手紙を毎日送り続けて図書予算の獲得。刑務所での図書館の設置。図書館で高校卒業資格を取れるように教育、日本で言う大検で合格者を出す。30年の年月を掛けてロックピックで壁を掘り、脱走。先に放免となった友人が自殺しそうになったところを助けて、中南米で人生を再出発する。

感想
内に光る希望は誰も奪うことが出来ない。これは真実だと思う。周りからの評価に流されず、自分を持って生きていきたい。

2020年3月30日月曜日

ランボー first blood

教養として、今年のプライベートの目標の一つに世界の名作映画を20本観ることとしていた。3か月が経とうとし、まだ2本しか観ていなかったのでCOVID-19に乗じてスピードアップ。
1.ショーシャンクの空に。
2.風と共に去りぬ。
3.ランボー "First Blood" ←今回

小さい頃に金曜ロードショーか土曜洋画劇場で上裸のランボーが自動小銃を打ちまくっているのを観た記憶があるが、きちんと観るのはこれが初めて。

内容はアクションかつアメリカの社会ドラマ。
ベトナム戦争帰りのグリーンベレーであるランボーが帰還兵に対する差別的扱いについて、捕虜時代のフラッシュバックをきっかけとして、暴力的に訴えることになってしまったというもの。
出征時は国、国民から声援を受け、
帰還時は国、国民から罵声を浴びた。
世論がそうであったとは言え、前線で命がけで戦った軍人に罪は無い。帰還後は、PTSDで苦しめられ、差別され駐車場係の職さえ与えらえず、国からの支援も無い(映画上での話。実際はどこまでか調べていない)。
差別的対応をした保安官に対する報復が終わった後、彼は叫んでいた。ただ国と国民から認められたいだけだと。

(感想)
国の政策や世論は時々によって大きく変わる。会社内の表彰もそう。自分でコントロールできるものではない。
幸せは自分自身の中にあり、外部からの評価に依るものではない。
たとえ世に認められなくても、世の中に良いことをしていき、自分自身で自分を認めてあげられることが、強く幸せに生きていく上で大切だと思う。

2020年3月29日日曜日

日本にキリスト教が布教されたきっかけ

16世紀の日本は戦国時代末期。火縄銃がポルトガルより種子島に1543年に伝来。1544年には堺、近江にて国産化。銃の供給体制は整ったが、火薬原料は輸入に頼らざるを得なかった。火薬構成は、30%が自前で供給可能な木炭と硫黄、70%は輸入硝石であった。国産硝石では供給量が足りず、インド、中国産硝石をポルトガル商人から輸入していた。その見返りに九州の諸大名がキリスト教の布教を許した。

参考
世界史とつなげて学べ 超日本史、茂木誠

考察
明日は生きるか殺されるかの戦国時代。織田信長による日本統一が迫る中、西側の諸大名が軍事力を高めようとするのは当然。キリスト教の布教を許してでも、火薬を調達したのだろう。キリスト教布教におけるリスクなどは知る機会はあったのだろうか。キリスト教そのものについても調べてみたい。

2017年11月16日木曜日

ベトナム生活 4週目に突入

ベトナムに来て3週間が経過した。怒涛のような毎日だ。日中は暇なし、会議多し、メール多し、夜は仕事がしたくても会食や、有り難いことに食事のお誘いがあって、なかなか仕事が進まない。
 
今週は、こんな感じだ。
月:17時まで会議、22時まで仕事、夕食はコンビニ
火:本社からVIP来訪、終日対応、会食付き
水:毎月の定期工事で終日現場張り付き、夜は食事会
木:20時半まで仕事、帰りに日本食レストランで夕食、帰宅後は仕事ができるか?

仮住まいの近くのレストランが全て22時に閉まるので、基本的には20時台に会社を出るようにしている。本当はもっと仕事がしたいが。

日本でもかなり忙しかったが、当時よりも自分の仕事をする時間がない。うまくローカルスタッフを教育して、自分の代わりにガンガン手を動かして貰おうと思う。

2017年11月14日火曜日

バインミー

休日にホーチミンに行く機会があり、昼食に前から食べたかったバインミーを食べることにした。運転手が旨いところに連れて行ってくれるとの事だったので、そこに行ってきた。店名は

BANH MI HUYNH HOA。場所は1区のベンタイン市場から西に500mほど行った所にある。下記のリンクに詳しく紹介されている。

2017/11現在の営業時間は14時半〜
記載されているように、青唐辛子みたいなものは除いた方がベター。

バインミーにしては値段は高く、日本円で180円。旅行者の割合が多かった。ローカルスタッフに値段を話したらびっくりされた。通常の二、三倍だそう。
ただ、とても美味しく、人気がある理由がよくわかった。男性なら一個で満腹の量である。

ベトナム英語に慣れてきた

ベトナムに来て、二週間強。最初はどんなにゆっくり話してもらっても、こちらの英語を全く聞き取ることができなかった。この先大丈夫かとかなり心配したが、いつのまにか半分くらい聞き取ることができるようになってきた。
特に訓練した訳ではないが、おそらくローカルと会話をする機会、時間を増やしたことが功を奏したと思われる。ちょっと用事があって、マンツーマンで一時間位、筆談を交えて話したのがきっかけのように思う。やっぱり殻に閉じこもるのではなく、積極的に交流することがこちらの英語に慣れるために必要なのだろう。
どのくらい耳が良くなったのか、試しに日本で半分も聞き取れなかったNHK world radio japanのニュースを聞いてみると、半分以上聞き取れるようになっていて感動。人間って凄い。toeicの題材も以前より聞き取れるようになっている。
よくベトナムの英語に慣れるとネイティブの英語が聞き取れなくなると言われるが、今のところそれはなさそう。四年間でどこまで伸びるか期待。

2017年11月9日木曜日

日本食レストラン

妻が来るまでは、ベトナム南部のVung Tau(ブンタウ)という町に住んでいる。
ロシアによって沖合の油田開発がなされたため、外国人が多い。また、ホーチミンから少し離れており、海水浴ができることからベトナムの熱海と言われている。ちょっとした観光地である。
そのVung Tauにも日本食レストランがある。SUSHI TOKYOだ。刺身、寿司、鍋、定食、ちょっとした居酒屋料理を食べることが出来る。

SUSHI TOKYO
https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g303946-d7723153-Reviews-Sushi_Tokyo-Vung_Tau_Ba_Ria_Vung_Tau_Province.html

私はここ1週間で3回もお世話になった。料理はまずまずだが、白米が食べられるのが嬉しい。値段も良心的で一人1000円あれば十分。定食だけなら500円だ。

ベトナムらしいなと思ったのは、冷奴を頼んだら、ぬるい冷奴が出て来た。薬味、鰹節も乗っており、見てくれは日本のそれにそっくりだが、所詮は見よう見まねなのだろう。中身までは中々真似できない。

とは言え貴重な日本食レストラン。Vung Tauで生活する上では重宝するだろう。

2017年11月8日水曜日

メールの多さに辟易

ベトナムで働いているとメールの多さにゾッとする。仕事がメールベースになっているのだろうが、蛇メール(返信が何通、何十通も続くメール)や無駄にCCを多くいれていたりとメールの5Sがなっていない。新米の自分でさえ、1日に100通近く届くので、ましてや英語でかつ背景がわからないので、とても処理しきれない。1個1分で読んだとしても1時間超必要。よく知っている工場で、日本語なら対応できるかもしれないが、英語かつ知らない工場だととても回らない。本来、技術者としてまずは学ばなければならない工場設備のキャッチアップが出来ていない。今まで一生懸命全部読もうとしていたが(それでも半分くらいしか読めていない)、工場設備のキャッチアップを優先するために、明日からCCのメールは無視しようと思ったが、上司に相談したらそのうち慣れるとのことだったので、何とかくらいついていこうと思う。

ベトナム英語

これまでシンガポールとインドの英語は聞いたことがあり、かなり発音にクセがあるなと感じていたが、ベトナム英語はもっと聞き取りにくい。
彼らはあまり子音を発音しないので、例えば、totalはトート、pasportはパッポに聞こえる。また、独特の発音も持っていて、例えば、trはチャ、チュ、チョになる。truckはチュックである。最初の1週間は絶望的だったが、少し筆談を交えながら、1対1で何度か話すと少しだけ慣れてきた気がする。会議での発音は全く分からないけども。大体耳が慣れるのに半年は掛かるらしい。気の長い話。そして日本の発音もあまりわかってくれないことがある。母国語にトーンのある国と無い国同士の英語だから相性が悪いのだとか。
いずれにせよ、相手の言っていることを分からないままにせず、なるべく確認しながらコミュニケーションをとっていきたい。そうすればきっと慣れていくだろう。

コースデビュー

日本にいる間は全く興味がなかったが、駐在員生活をするにあたってゴルフは外せないとのことだったので、日本で中古クラブを購入してから赴任した。
ベトナムに来てから週末に2回ほど練習し、先週末、ついにコースデビューを果たした。スコア云々よりもまずはルールとマナーの勉強であり、会社の大先輩や一緒に回って下さった近隣他社の派遣員の方々に感謝。ゴルフはスコアよりもマナーを重視するスポーツと紳士な大先輩が仰っていたのが記憶に残っている。今回は多大なる迷惑をおかけしたので、せめて迷惑掛けない程度に上達しないといけない。ちなみにスコアは74、69の143であった。
やってみればなかなか面白いもので、広大なゴルフコースにボールを打ち込むのは気分が良い。贅沢なスポーツだと思う。また、普段お付き合いしない他社の方々と一緒に回ったり、ラウンド後に食事をしたりと、中々日本ではできない貴重な経験ができるので、モチベーションになる。来週末はまたラウンド。今週末は練習を頑張ろう。

2017年10月29日日曜日

ベトナムに赴任

ベトナムに無事に赴任して数日が経過。休日となり、漸く自分の時間が出来た。毎日刺激的で濃厚な日を過ごしている。残しておきたいことが多すぎる。。。これから日記代わりに書いていきたいと思う。
基本的な姿勢として、仕事面では決して奢らずに、生活面では暴飲暴食せず、運動をして健康的に過ごすよう気を付けたい。

2017年10月23日月曜日

映画 殿、利息でござる

久しぶりに本当に良い映画に出会った。
無私の日本人の心を描いた時代劇。堅苦しいものではなく、主演に阿部サダヲを起用した笑いあり、涙あり、感動ありの映画であった。
時代は約250年前の江戸後期。藩からの取り立てが厳しく、夜逃げするものも後を絶たない吉岡村。造り酒屋の十三郎はこのままでは村が衰退すると一念発起し、周囲のサポートを経て、何と、幕府に金を貸し、利息を以て年貢の取り立てを緩和するというもの。
自分の利益ではなく、村全体の利益を一番に考え、切腹覚悟で何年にもおよぶ活動を続ける。なかなかできるものではない。
困難にぶつかり、心が折れそうになった時に励まし合って当初掲げた大金を幕府に貸すという事業を成し遂げた。映画の中では初志貫徹した人はいなかったが、それも人間味のあってよいと思った。
何事も一人で成し遂げられるものではない。無私の心と良い仲間を持って、良い仕事をしたい。

2017年10月15日日曜日

小田代原、戦場ヶ原 紅葉

10月末からベトナム赴任になるので、しばらくは気軽に山に出掛けるができない。10月8日、晴れることがわかったので、締めの山と思い、紅葉真っ只中の小田代原と戦場ヶ原に行ってきた。

10月8日(日)5時半に茨城県の自宅を出発。8時に高滝インター前についたが、何とETCレーンが故障中とのことで500mの渋滞。ここで30分の手痛い時間ロス。9時過ぎに龍頭滝のすぐ上の滝上駐車場付近の路肩に駐車。以下のマップのオレンジのルートで時計回りに歩いた。車に戻ったのは12時。普通に歩けば、コースタイムの半分だが、写真を撮りながら歩いたり、泉門池で大休止したりしていると、大凡コースタイムの時間になった。

今日のコース(滝上駐車場付近~小田代原~戦場ヶ原~滝上駐車場。所要時間3h。)

車を降りて最初に目を奪われたのが、滝上駐車場付近の橋から見える紅葉。紅葉自体はそれほどという感じだったが、川と相まって言い雰囲気だった。観光地という感じ。

滝上駐車場付近から
 滝上駐車場の数m下に、赤沼方面に上る細道がある。ここから赤沼方面と小田代原方面との分岐である石楠花橋へと向かう。
滝上駐車場~石楠花橋。川沿いに熊笹の中を進む。
 石楠花橋の分岐には、地図もあるので迷うことはないだろう。戦場ヶ原方面へと低公害バスルートを利用。この道はほとんど人が通っておらず、熊が出ないかと少し心細い。たまにすれ違う歩行者とバスが心の支え。ただ、景色は最高でとても癒された。
石楠花橋~小田代ヶ原。紅葉の中を進む。

石楠花橋~小田代原。秋晴れと紅葉。

 進むこと20分、景色が開けた。小田代原だ。戦場ヶ原には何度も足を運んだが、小田代原は今回が初めて。赤茶色の草紅葉と壮大な男体山~山王帽子岳の景色に心を奪われた。戦場ヶ原から1時間程度で往復できるので、こちらもお勧めしたい。
小田代原。右から男体、大真名子、大子真名子、太郎、山王帽子。

男体山方面。
 小田代原から戦場ヶ原方面に向かう。分岐を湯滝方面へ5分ほど歩くと泉門池だ。ここからの男体山は格別。ベンチもあるので、持参したおにぎりを食べて大休止した。
泉門池と男体山
 帰りの戦場ヶ原。黄金色のススキがよい雰囲気を醸し出していた。男体山もグッドだが、この日は最後まで山頂が拝めなかった。
戦場ヶ原から男体山を望む。
この先、数年は山に行けるかわからない。最後に良い思い出作りになった。行ってよかった。

~雑記~
帰りの高速で下りの車線(奥日光へ向かう側)が3kmほど渋滞していた。例のETCが使えないトラブルが原因だ。僕の場合は500mで30分待ったので、奥日光に入るのに3時間は待つだろう。いろは坂を登ることを諦め、手前でUターンした人も多かったはずだ。日光宇都宮道の全ETCが使えないとのことなので、早急に直して欲しい。ETCレーンが壊れているなら無料で開放してもよいくらいだと思う。こんなの自動車道じゃない。新幹線でも東京~大阪間で2時間遅れたら、特急料金を返金するのだから。

2017年10月6日金曜日

久しぶりの投稿

最後に更新したのが、2013年3月。それから4年と半年も経っている。社会人になると時が経つのは本当に早い。結婚し、転勤も経験した。
この秋からベトナム赴任が決まり、その様子をブログに掲載しようかと思い、新しくブログを作るか、このブログを続けるかで悩んだ。自分としては、やはりものづくりも趣味のアウトドアも人生からは外せないので、やっぱりこのブログでベトナムでの新しい生活について記載していこうと思う。
4年振りにブログの内容を見返してみたが、色んな思い出があったのに結構忘れている。。。こんなことしたっけ?これはどこのお店だっけという感じ。これまでは"写真を見れば記憶は蘇る"という認識だったが、そうでも無い様子。動画でも残しておくか?写真を沢山撮り、たまに見返すのが良いだろうか。
三日坊主にならないよう、更新していきたい。

2013年3月3日日曜日

房総トレイル

最近は工場がトラブル頻発でろくに休めていないが、気分だけはスッキリさせよう。
房総トレイルというトレイルランのレースに参加した。

初めてのトレイルレースということで、18kmの部に参加。
さて、無事にゴールできるか。痙攣しやすい体質であり、ランナー膝の不安もあった。案の定途中で両足の太もも、ふくらはぎが痙攣した。歩いたりストレッチしながら騙し騙し走り、ついには感想することができた。ちょっとした達成感だ。

トレイルレースとしては、登山道を走る距離が短く、総距離18kmに対して5km程度しかなかった。そういう意味では物足りなかったが、やはり登山道を走るのは気持ちよかった。30kmの部に参加すればもっと登山道の割合が増えたかもしれない。

今回の課題は、完全に足の痙攣。もともと痙攣しやすい体質だが、長距離の練習不足が原因だろう。頑張って週末に走る距離を伸ばそう。

2013年2月11日月曜日

映画 イエスマン”YES”は人生のパスワード

久しぶりに映画を鑑賞。

人付き合いや頼みごとに答えるが億劫になった卑屈な銀行員が、ひょんなことからどんなことに対してもYESと言い続けることで、退屈な毎日から新しい人生を切り開くストーリー。

僕らの日常でも、今晩はゆっくりしたいとか、平日に急な誘いがあるけど、明日は仕事だから行きたくないなんてことは多々ある。

どうせ自分と話をしても、自分が何かをしても相手を失望させてしまうだろう、誰もがこんな気持ちを抱くはず。相手の期待に答えられるだろうかと恐れを抱くことは、プライベート、仕事でも日常茶飯事のはずだ。

だからと言っていつもNOと言い続けるNOマンであれば、面白くもないし自分の周りに人が寄り付かなくなるだろう。

仕事も忙しく、心が弱くなっていたところ、ちょうどよい映画に出会った。
少しずつでよいから、YESと言えることを増やしていこう。
そして、本心からYESと言えることを増やしていこう。