祖母が危篤との連絡で、クリスマス明けから急遽、秋田へ向った。最後には間に合わなかったけれども、骨になる前に顔を見ることができた。
最初は、トンボ返りのつもりだったが、周りの人の協力で休みをもらうことができ、葬式が終わる最後まで実家にいることができ、貴重な経験をすることができた。
祖母とは暮らす場所が離れており、また、自分が中学生のころから寝たきりだったので祖母との思い出は、あまり多くなかったが、今回帰ることで祖母の昔の話をたくさん聞くことができた。本当に孫、子供想いの人だったそうだ。
孫ができれば必ず出産前後の助けに来てくれた。それも還暦を過ぎてから東北から言葉のわからない関東、関西へ一月もだ。当時はおばあちゃんが来てくれることに子供心に嬉しいとしか思わなかったが、今思うと何と大変だったろう、何とありがたいかと感じる。また、子供が家を出たときには何通もの手紙を送っていた。
優しい祖母の思いは、近くで暮らしていた孫にも伝わっており、従兄達は皆、立派で優しく、素直な大人に育っていた。自分は祖母の思いを知らなかったが、祖母の死後、ようやくその気持ちが受け取った。
ずっと自分のことで頭が一杯だった。なんて愚かな人間だったろう。
いろんな人の優しさが身に浸みた。優しい人でありたい。
はやてより、日光男体山、女峰山 |
のぞみより、富士山 |